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心配せずに、ハッピーで! ©
John Stemmons, Amazing Grace Church, Fujisawa, Japan - 101106- rev. 110906

"心配せず、ハッピーでいる" - 無責任に聞こえます。 聖書では心配しないことが神の前に私たちの責任であると教えています。

ピリピ 4:6
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
V.7
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

人のすべての考えにまさる神の平安は、神を個人的に知り神の方法を悟ることの結果です。
エレミヤ 9:23 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。
V24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。・・主の御告げ。

神が何も思い煩うな心配するなと言っているなら、“心配しないこと”が可能であるか、又は、神が不公正なことを私たちに無理強いしているかのどちらかです。 神は不公正な方でありえませんから、ということは、私たちが“心配しないこと”が可能なはずです。 心配することは、神の命令にそむくことであり、神の命令にそむくことは、無責任なことです。心配することは、無責任なことなのです。 

でも、どうやったら心配せずにいられるの?

ビジネス取引で私はひどい目にあったことがありました。 一文無し、不幸、落胆、怒り。 もちろん、責任感のある者として、私は将来を思い煩いました。 チャーリー氏のことはまだ良く知りませんでしたが、会社が借りていたオフィスビルのオーナーでした。 チャーリー氏は、私の状況を耳にした時、やって来て大金をを私の手に押しつけて言いました。 “取りなさい。すぐに必要になるでしょう。” 私はもちろん拒みましたが、彼と口論する必要もないし、又そのお金は必要でしたから、それを頂いて、神とチャーリー氏に感謝しました。 翌日、彼は再度私を驚かせました。 更に又かなりの金額を私に渡して、“半分は、南アフリカの宣教師エリザベスに与えなさい。”と言うのです。 彼と彼女は友人なのに、何故彼女に直接渡さないのだろうと、不思議に思いました。 後になってわかりましたが、彼がしたかったのは、“捧げる”という流れを私の人生に始めさせることだったのです。 彼は神ではありませんが、私にとって神の大使でした。 神は蒔く人に種と食べるパンを備えてくださるからです。(2コリント 9:10)
チャーリー氏は言いました。“教えたいことがあるけど、聞いてくれますか?” こう言われて責任感のある者はどう答えるでしょう。私は同意しました。
チャーリー氏が私に教えたのは、神に頼ることと自分に頼ってしまうことの違いでした。そして聖句を、道具のように使って働かせる方法を示してくれました。聖句を暗記し、最低1000回声を出して語るようにと言うのです。まず始めに上記のピリピ 4:6-7。 こんなことで問題が解決することは絶対ありえないと私は確信していましたが、チャーリー氏がこんなに私のことを思ってくれていることに感謝していましたから、彼がそうして欲しいなら、同意して彼の言うとおりにしてみようと心に決めました。 

この啓示の結果は表現できないほどすばらしいものでした。 私の人生は永遠に変えられました。 その日教えられたことを、神とチャーリー氏に感謝しています。 私は、信仰によって歩むことを学び始めました。

その時から、これがどういうメカニックなのか理解しようと試みました。 種と同じ原理で働くと私は信じています。 言い換えれば、リンゴの種はリンゴ自体の内にあり、約束の種はその約束自体の内にあるということです。 聖書にある種まきのたとえ話で、土壌は私たちの心に例えられています。 (マルコ 4:3-20) もし良い種が良い土にまかれ、水や肥料が与えられ、雑草は取りのかれ、ちゃんと世話されたら、実を結ぶことになります。
種がどうやって実を結ぶのかは誰にもわかりません。とは言え、何の学校教育も受けなかったお百姓さんでも、種を植えれば実がなることは知っています。彼は収穫を信じて種を蒔きます。土をサポートしようとするのでもなく、土を助けるために自分の責任を果たしているのでもありません。収穫を期待しているのです。
しかし、土が悪いと、実を結ばないかもしれません。ここで言っている土とは、あなたの心です。 あなたの心の土壌の状態が悪いなら、あなたが変えられるのです。霊の種は、あなたの耳で聞く時に蒔かれます。だからみことばを口で宣言することが必要です。

ローマ 10:17
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

"水まき"は、頭をみことばで満たすことでなされ、"雑草取り"は、神に対する従順な態度を保つことでなされます。 "肥料"は、あなたの口から出てくる言葉を心に植えられたものと一致させていくことでなされます。 つまり、“二心”でいるなということです。

ヤコブ 1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
V.7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
V.8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

この培われた信仰こそ、神の約束を受け取るのにまさしくあなたが必要としている信仰です。約束の種は、その約束自体の内にあります!

これは、私にとって突破口でした。素晴らしい聖書の教えを何年も受けたことも、私にとって大きな要素ですが、聖霊の啓示がなかったら、教えだけでは私の人生を変えることはできません。
神のみことばの中には何千という約束があって、人生に起こりうるあらゆる状況をカバーしています。私の問題は、お金の必要でした。

お金で幸福は買えません。でも、お金が無いことで、たくさんの不幸は買えてしまいますね。 金銭的な約束のみことばも、神は十分に私たちに与えてくださっています。でも誰かが神に約束させたわけではなく、神がみずから約束してくださったのです。 これらの約束は、神のこどもたちが使うために与えられたものです。 神はこの方法で私たちを養ってくださるのです。約束を幾つか見てみましょう

申命記 8:18
あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。
詩篇 35:27 私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。
2コリント 8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

二心でいても、何も受け取れません。
ヤコブ 1:7
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
V8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

たましいの救いは、あなたの頭にあるものが、霊にあるものと一致することです。 神がおっしゃっていることを、頭だけでなく、心でも信じることを学ばねばなりません。あなたが実際に心で信じているかどうかは、あなたの行動が語ります。
まず信じることです。 そうすれば後で理解が来ます。 みことばを口で唱えて聞くことで信じ、自分のものとなるまで祈るのです。 マルコ 11:24 は、祈った時に受け取ると語っています。 ところがほとんどの人は、祈ってその後祈りの結果が現れるかどうかを自分の目でうかがいます。 しかし、目に見えるものは、信仰ではないと聖書は言っています。まず受けたと信じるのです。そうすれば目にも見えるようになります。
神のことは、人間の知性に“認可”されようと屈服することはありません。しかし、最も懐疑的な知性であっても、謙虚に神に従わせるなら、神はそれを豊かに満足させます。
ご自身の血によって私たちをあがなって下さった方に対して、私たちが報告する日がやがてやって来ます。その時に、その方の約束が有効に働くと思わなかったから何もしなかったなんて言いたくありません。 信じるか否かはあなたの選ぶことです。 信仰による歩みは、より高度な人生、いのちです。ギリシア語の"Zoe" という言葉は、神ご自身のいのちです。 神の子供として、これ以下で甘んじてしまわないでください。

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