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教えのミニストリー ©
John Stemmons, Amazing Grace Church, Fujisawa, Japan - 021402/RV 082708
神のみことばを教える者と、私たちはどう対応すべきか?

ヤコブ 3:1 私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。 V2 私たちはみな、多くの点で失敗するものです。...


聖書教師の機能は、キリストの体を建てあげるための助けです。 建築業に見られるチャレンジと同じく、新しい建物を立てる前に古い土台が崩されねばならないことがしばしばあります。それも、神の愛する対象であり働き人である弟子の霊的成長を妨げることの無い方法でなされるべきです。神は私たちを羊に例えています。それは私たちが羊的な性質をたくさん持ちあわせているからです。そのうちの一つに、強情であるということがあります。羊のように、人間は頑固です! また、羊が他の羊の後を追うように、人間も他の人の後を追っていきます。神のみことばに無知である事は、弟子にとって恐ろしい敵です。その敵は打ち負かされねばなりません。
イザヤ 5: 13a それゆえ、わが民は無知のために捕らえ移される。
ホセア 4: 6a わたしの民は知識がないので滅ぼされる。


間違った教えは、その間違えが明らかにされねばなりません。弟子たちが拒めるためです。良い建物であるなら、土台はしっかり据えねばなりません。悪い土台の上にただ“教えを積み上げる”ことはできません。間違えを明らかにして、正していかなければなりません。これは簡単な作業ではないのです。正しかろうが間違っていようが、人間は最初に教えられたことを信じてしまう強い傾向があるからです。 イエスであっても、ほとんどのパリサイ人やサドカイ人を変えることは出来ませんでした。 間違った教えは、神のみことばの光によって、白日にさらすことができます。 間違った教えが正しいもので置き換えられないなら、その人は混乱し二心となるでしょう。 それゆえ弟子たちは、以前に教えられた事と相反する新たな教えを聞くことも予期するようになります。

しかし、弟子たちは何が真理で何が偽りであると、どうやって知ることが出来るでしょう? また、これは誰の責任でしょう? 最終的には、私たち自身です。 私たちは何を信じるのかを選ぶ自由意志を持っています。 神のみことばは信頼できますから、すべての教えは、あなたの人生に取り入れられる前に、聖句によって試されるべきなのです。
使徒行伝 17:11 ここ(ベレヤ)のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
イザヤ 8:20 おしえとあかしに尋ねなければならない。 もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない。


クリスチャンが初期に学ぶべきことの一つは、主に降伏することである。 クリスチャンの歩みは、降伏と服従の一連の過程である。  今までの自分のあちらこちらを神に明け渡し、神が語られている本来の自分に置き換えていくにしたがって、私たちは神の似姿に変えられていくのです。

エペソ 4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、 V23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、V24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

イエスは人々を愛される。もし私たちがイエスに仕えたいなら、私たちも人々を愛するはずである。
EP 4: 12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 V13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。 V14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、 V15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
イエスは目的があって、教えのミニストリーを教会に置きました。 それはクリスチャンに余興を与えるためではなく、神の人々と共に働き、神の目的に達するためなのです。 もしある教師が常に正しいなら、その人はイエスに違いなく、私たちも彼を崇拝すべきでしょう。 そうではなく、弟子たちに神のみことばに対する激しい飢えが生じるように、力強く劇的な形で弟子たちにみことばをもたらすための油注ぎと責任を教師は持っています。弟子たちも神の御前に以下の責任を負っています。:
2 テモテ 2:15 あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。
ローマ 12: 1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 V2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。


クリスチャンは人々にイエスキリストを語りたいのですが、神を正しく代表していなければなりません。私たちが任務に出て行く時に、天のすべてが見ています。
エペソ 3:9 また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。 V10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、 V11 私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

弟子たちが変わり、強くならなければ、教えは有効ではありません。 教えは、私たちが心から受け入れ、各々の人生に取り入れて初めて、私たちに本当に作用するのです。 ここでも降伏が必須です。
私たちの霊は、新生したその時に、瞬間的に、完璧に、永遠に全うされます。 たましいは、全うされる過程にありますが、この作業は天に行くまで完成されません。 ヤコブは、みことばが私たちのたましいを救う力があると言っていますが、私たちの協調も要求されます。:
ヤコブ 1;21 "...心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。 V22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。"
パウロは、私たちが以下のことをすべきであると言っています:
ピリピ 2:12 ....恐れおののいて自分の救いを達成してください。
私たちがこの教えに従わない限り、どうして良い結果が期待できますか?

教えの賜物は、講壇に仕えるミニストリーの職の一つであり、神に任じられるのです。 ですから教師が尊敬に値するのは、その人のゆえではなく、その人が誰を代表しているかのゆえなのです。 私たちが努めるなら、どの教師からも何かを学ぶことが出来ます。しかし、教えはみことばに照らして吟味すべきです。 教師を裁くことはあなたの責任ではありません。 神ご自身がその仕事をなさいます。
ローマ 14: 4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。

ただあなたの気分を良くしてくれる教えではなく、あなたの生き方を変え、栄光から栄光へと移してくれるようなような教えを愛することを学びなさい。
2 テモテ 4: 3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 V4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

正しい良心にあって、もしあなたが聖句を探って後に、教えられたある事に合意しないなら、年取った牛と同じ位には賢くいてください。 小枝は吐いて、ワラだけ食べなさい!

もしある教師が明らかに聖句を間違えて教えている場合、これはシリアスな問題ですが、些細な点で時には不合意があることは予期できることでしょう。 教師は教える内容について神の前に責任を負うことを忘れないでください。 あなたが合意できない時、怒りではなく、とにかくその教師を愛し、その人のために祈り、質問してください。 もしその教えが間違えていると思う場合は、その箇所について愛にあって指摘されるならば、教師はその教えを説明したり、指摘通りなら自分の教えを変えることが出来ます。 それを多くの教師は好みます。

この教えを通してあなたが祝されるように祈ります、そして...
エペソ 1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 V18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか V19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。 V20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせました。

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