Amazing Grace Church
湘南台教会
アメージンググレースチャーチ
Home
スタディーセンター
 English



神さま、一体何をしているの?©
Pastor John Stemmons, Amazing Grace Church, Fujisawa, Japan, 112606

これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、
神の豊かな知恵が示されるためであって エペソ 3: 10


黙示録 12:7-12 では、昔、天に戦いが起こって、悪魔が地に投げ落されたことが語られています。

彼は御使いの中で最高のケルブの位で、その中でも一番の地位にありました。エゼキエル28:14では、“油そそがれた守護者ケルブ”と表現されています。天から投げ落されて、それまでは、光を運ぶ者という名が、サタン(敵対する)となりました。そして自分の時が短いことを知っているので、非常に怒っています。問題をかかえている多くの人に似て、自分を責めることはせず、神を非難しています。

一体これは何時起きたのでしょう? 聖書ではその正確な時刻は述べられていませんが、6千年以前に起こったことは、はっきりしています。 アダムとイブの時代には、サタンがすでに蛇として現されているからです。 もちろん、彼は実際に蛇だった訳ではありません。 2コリント11:14では、彼は光の御使いを装うと言っているからです。しかし、サタンは蛇のようなキャラクタ−です。 心が冷たく、あわれみもなく、自己中心のかたまりであり、嘘つきで人殺しです。

サタンは何故この地に投げ落とされたのか? この疑問を解くには十分な手がかりがあります。 聖書では、サタンを“この世の神”(2コリント4:4)とか“空中の権威をもつ支配者”(エペソ2:2)と表現しており、イエスもサタンを“この世を支配する者”(ヨハネ福12:31)と呼んでいます。これらの肩書きは、もちろん天から落ちてから得たのではありません。しかし、神の賜物と召命は変わらない(ローマ11:29)のですから、これらの肩書きをサタンから取り上げることも神はなさいませんでした。加えて、サタンが“天にのぼろう”と心で言い、“地を震わせた”者であることもイザヤ14:13,16に示されています。

地球はサタンの住み家であったので、ここに戻されたのです。彼はここに居る権利も、エデンの園に居る権利ももっていたので、アダムとイブを堕落させるためにしたことは、非道徳的で非倫理的であったけれども、合法でした。アダムが神の命令にそむいて神に反逆した時、神がアダムに与えていた支配権は、サタンに移ってしまいました。その時以来、サタンはこの世の支配権をもっているのです。(1ヨハネ5:19)

神は圧倒的にサタンより力のある方ですから、“何故サタンから支配権を取り上げてしまわないのか?”という疑問が湧くでしょう。サタンは合法的に支配権を手に入れたのです。ですから神も合法的にそれを取り戻さなければなりません。力づくで取り上げたら、神が不義となってしまいます。

神の前にはだかるチャレンジは、愛する創造物を回復すること、それを合法的になすことです。 この地にいるすべての者はサタンの支配下にあって、神を代表できる者は誰ひとりいなかったのです。神はアブラハムを見出しました。

アブラハムは、初めアブラムという名で、今のイラクにあたる地のウルとい町に住んでいました。創世記12章で、神が彼にアプローチし、アブラハムとの誓約についてが語られています。神はアブラムに約束し、アブラムは神に従い始めます。神は彼を守り養われました。

創世記15章では、神が“血の誓約”を結んでいます。この誓約は、まず最初父なる神と子なる神との間で結ばれました。その間アブラムは深い眠りの中にいました。アブラムが目をさました時、神を信じることによって、この誓約に入りました。 もちろん神はアブラムと直接誓約を結ぶことは出来ませんでした。 神が完全ですが、アブラムは罪の性質に侵されていて不完全だったからです。 アブラムと結びついてしまったら、神が完全未満のものになってしまうからです。 また、アブラムは死ぬことが運命づけられていますから、永遠の誓約でなくなってしまいます。 皮肉なことですが、もし神がアブラムと誓約を結べたとしたら、イエスがやって来て私たちの代わりに死ぬ必要はまったくありませんでした。

神は御子を通してご自身と誓約を結びましたが、これでまた他の問題が生じました。これは血の誓約なのですが、両者にが霊であられて、血がないからです。 誓約は結ばれましたが、まだ批准されませんでした。 これは、創世記15:6で証明されています。アブラムは神を神じ、神はそれを義と認めた(数えた)のです。アブラムはつけで救われたのです。

つけと言った理由は、罪の罰金がまだこの時点では支払われていなかったからです。でも後に支払われることは確実でした。それについて一番初めに宣言がなされているのは、創世記3:15です。ここで、サタンに対し、“女の子孫(種)”が彼の頭を砕くことが知らされています。普通女には種(子孫)がありません。しかし、神の御子、イエスキリストは処女から生まれることになっていました。彼の父は神ご自身です。つまり、イエスキリストは完全に人間でありながら、罪の性質がないということです。この神の約束は非常に確かであって、実際に罪の代償が支払われたのは何世紀も後のことでありながら、アブラムの義はこの約束に信頼していたのです。

アブラムは後に誓約の証印として割礼を受けました。神の血の代わりに動物のいけにえの血が用いられました。これらの動物の血は罪を取り除くことは出来ませんが、さばきを一年ごと延期しました。他にも重要なことをしていたのです。永遠に罪の代価を支払うためにやって来られる方、主イエスキリストを指し示したのです。

ローマ6:23によると、罪の報酬は死です。大小関係なくどの罪でもです。神は恵みとあわれみの神ですが、同時に公正の神でもあられます。神は罪の代価を要求されます。罪を犯したたましいは死ぬのです。(エゼキエル18:4) あなたが罪を犯したら、あなたが死ぬのです。罪を犯した瞬間、霊的に死にます。肉の死がそれを追います。すべての人間がこの罪の性質に感染しています。なぜならすべての者がアダムの内にあったからです。

もしこれ以外に神の創造物が救われる方法があったなら、神は間違いなくそちらを選んだでしょう。しかし、それ以外の方法はなかったのです。だからイエスがこの地に2千年ほど前にお生まれになったのです。神のみことばが人となったのです。(ヨハネ1:14) 唯一の完璧な神のひとり子は33年間この地球で住まわれ、そして私たちの代わりに死なれたました。

間違えないでください。イエスキリストは完全に人間であった(ので、人間と誓約を結ぶことができたのです。)と
同時に、完全に神であられた(ので、神の要求する公正を満足された)のです。彼だけが唯一すべての罪の代償を支払うことが出来る方でした。彼だけが唯一完全に人間であって完全に神として生まれた方です。だからイエスは、自分だけが神への道であると宣言されたのです。(ヨハネ14:6) このことを理解していない者には、イエスだけが唯一の道であるという声明は不快でしょう。しかし、イエスだけが唯一の道なのです。それは彼だけが唯一罪の性質を持たずに生まれたからで、彼の血だけが唯一すべての罪の支払いに値するのです。主イエスキリストのような方は今まで誰ひとりこの地球にはいないのです。彼だけが唯一の神なる人間であられ、唯一の神への道なのです。

イエスキリストは、神と人のあいだの唯一の仲介者です。(1テモテ2:5)

死者からの復活の後、イエスはご自身の血を天の聖所に持って行き、神に捧げられたのです。神はそれを、過去現在未来のすべての罪の十分に贖う最終的ないけにえとして受け入れられました。(ヘブル9:12) 血の誓約は批准されました。

これは合法的で、我々の生きている時代にある神のご計画をもって、サタンとこの世を驚かせました。 教会の時代の奥義が人間に啓示されたのです。(エペソ2:1−11) 聖霊が天から遣わされ(黙示録5:6)、新生していて聖霊を受け取る者には誰にでも与えられるように、地に到達しました。(使徒2:1−4) 


イエスキリストは、私たちの内にご自身を再現しています。これが神の創造物を回復するための計画です。あなたも私もこの計画の一部です。私たちにはすべき仕事があります。神の御計画で、わたしたちのパートは、大使として神を代表することです。そのためには神の計画に精通しているだけでなく、神ご自身の権威や力を持つ必要があります。

神を正確に代表するには、神の計画を良く知って理解することが必要です。だから私たちは聖書を持っているのです。私たちは神のみことばを学び精通すべきなのです。(2テモテ2:15) 私たちは人間ですからこの地に立って神のみことばを語ることは合法です。 私たちには、神の子供として、聖霊の力(使徒1:8)と、イエスご自身の御名の権威(ヨハネ16:23)が与えられています。 そして神ご自身が養って下さるのです。それは、私たちが神の兵士だからです。

時は短い。 みことばの中には約6000個の預言があります。そのうち4000は、詳細にわたって完璧に既に成就しました。残りの預言もその時が来れば成就されます。しかし、イエスが教会のために来られる前に成就されるべき預言はもう残っていません。それが起きる前に、失われている人々を見出して救っていくことが必要です。イエス様がなさったと同じように。

神の御計画の中で、一体あなたのパートは何ですか?

自分のすべきパートがあることを確信してください。近いうちに私たちは皆イエスキリストの前に立って、この地での人生を報告するのです。

あなたの番になった時、何を報告しますか?

救い主の唇から、 “よくやった。良い忠実なしもべだ。”(マタイ25:21)という尊いお言葉を期待できますか?

Go to Top Go to Home